「僕と核」2012
    

 

まとめ


自分はこの一年間で、鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」の音楽を担当した縁もあり、
シカゴ、バンクーバー、ロサンゼルスで上映会と共にディスカッションにも参加し、多くの研究者のお話を伺った。

震災後、UCバークレー校、サンフランシスコ、ニューヨーク、ワシントンDC(議会図書館)、エジプトのアレキサンドリア、さまざまな文献や教科書に目を通し、
ネットにはないような貴重なデータも沢山あった。 しかし、どれだけ歴史を遡って資料を漁っても、「被曝に関する真実」という便利な頁は存在しない。
そのような頁が出来たとしても、内容はどんどん更新されている。

今でも見直したい資料が山ほどある。だがそれでは時間がかかり過ぎるし、冒頭に述べたように、情報の体系を作ることが急務なのだ。
しかしそれ以前に、実に膨大な量のデータがあることが、どれほど知られているだろうか。

では、誰が正しいかではなく、どこで線を引くのか。

環境、経済、社会など色々な線引きが存在する中、健康を守るためには個人の免疫が「最後の砦」である。
現実的に考えて、人体への負荷はAとBを比べて議論することはあまり意味がない。比較ではなく、A+Bと足して考えなければいけない。
相乗効果的に何かが起きるかもしれない、相殺されて何かが消えるかもしれないのだ。
もちろん成人が負荷を避けて生きる訳にもいかないので、過去の汚染も含めて認めなければ、非現実的な理想ばかりになってしまう。

事故当時、放射能漏れが世界的に大きなニュースになったのは何故だったか。
そこまで問題がなければ、メルトダウン事故を大きなニュースとして取り上げるのは、まったくの矛盾である。

人工的な産物、副産物、副作用と共生して行けるかは人類にとって大きな課題だが、
人は社会の一員である以前に、自然界の共生によって成り立っている。
そして放射能汚染は生存と生殖能力を低下させ、共生を根底から脅かす。

問題は多岐に渡るので、答えもひとつではない。 解決策があれば良いのだが、答えの見えない状況を打破するためにも、
賢い選択肢を並べてから、自分たちの未来を選択しなければいけない。

石油、石炭、天然ガスも、採掘から燃焼まで環境への影響は沢山あります。地球規模の気候変動も無視できる問題ではありません。
それでも尚、原子力が他のエネルギー源と決定的に違うのは、放射能の持つ特殊な性質によるものです。
エネルギーの消費をカットすること、電力の生産を自然エネルギーや地域に振り分ける分散型にするなど、実践されている動きも世界中にあります。

原子力産業は「核の総合総社」であるウランを濃縮し、プルトニウムを製造して燃料として使ってる以上、例え事故がなくても、環境と人間にとっては脅威であり続けます。
核の廃棄物もその国にとっては永遠の課題になります。

2006年には、原子力のスローガンに「立つ鳥、後を濁さず」を提案しました。
今回の標語は、過去の過ちを乗り越えながらも、負のエネルギーに打ち勝つと言う意味を込め:

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ご精読ありがとうございました。

peace,
Shing02

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