「僕と核」
    (2006)

5. 原子力発電ってなに?


原子力発電所は、「原発=げんぱつ」とも呼ばれます。
原子力発電と言ってもじっさいは、
「ウランの核分裂による熱でお湯を沸かして、その蒸気で発電機をまわしている」
だけです。

熱を蒸気に変えてタービンをまわす仕組みは、石炭や天然ガスなどの火力発電とまったく同じです。もっとも、核分裂の熱は一瞬で太陽の表面温度に近い何千度にもなりますから、熱をつくる効率に関しては他の燃料に比べて何百万倍も優れているのです。

小さなウランの燃料ペレット一つで、約800キロの石炭、約680リットルの石油に値するとも言います。原子力発電が考えられた頃、ウランは資源の節約になる、と未来の燃料として注目されたのです。しかし、これは原子炉の中だけの出来事で、その前後にはウランによる節約を上回る膨大なコストがあることが70年代後半には分かっていました。

<再処理工場と高速増殖炉>

通常の原子力発電所の使用済み燃料を、高レベル核廃棄物として貯蔵しておくより、燃え残ったウランをリサイクルしたり、プルトニウムを取り出して「高速増殖炉=こうそくぞうしょくろ」のための新しい燃料をつくることが、再処理工場の主な目的です。高速増殖炉は「プルサーマル」と呼ばれる原子力発電の進化系で、通常の原子炉の100倍以上の効率があると言われています。よって、再処理工場と高速増殖炉は、ワンセットで初めて本格的に機能します。

何が「高速」で「増殖」かというと、水の減速材を使わない「高速」の中性子を使った核分裂により、プルトニウムが「増殖」します。プルトニウムが核分裂をする際に、まわりのウラン238をプルトニウム239に変えてしまうので、本当に増えて行くのです。

再処理工場はアメリカの軍用施設の他は、イギリスとフランスで商業化されました。日本では茨城県の東海村のほかに、青森県の六ヶ所にある再処理工場が20年の建設期間を経て、2006年に運転を始めました。再処理をした燃料を使う高速増殖炉は、現在日本では稼働していませんが、佐賀県にある玄海発電所など、全国でプルサーマル計画が進められています。福井県にある高速増殖炉の「もんじゅ」は冷却剤のナトリウムが漏れた1995年の事故以来、運転が停止しています。

<核融合>

将来的には、水素を1億℃のプラズマにまで熱した「核融合」を利用した発電方法も研究されています。ITERという国際プロジェクトが、核融合の原子炉を開発しています。それだけの高熱状態に耐久しうる原子炉をつくることは難解なのですが、核融合には核分裂の連鎖反応もなく、放射性の生成物が発生しません。この技術が完成すれば、ウランを燃料にする必要がなくなります。もしかしたら、原子力のジレンマを解決する技術かもしれませんが、それだけの高エネルギーを管理するという点では、実用化させるには高いコストが付くことでしょう。

<原子力発電の疑問点>

原子力発電所に話を戻しましょう。
原子力発電は、火力発電と違って二酸化炭素を出さないこと、資源の供給源が安定しているという点がアピールされています。効率的に電力をつくるという意味では、立派に役割を果たしているのです。ところが、その工程で二酸化炭素よりも遥かに重大な副産物を残してしまいます。それはウランの精製が残すゴミと、原子力発電の原理である核分裂がつくる生成物です。

天然の鉱石にはウランが5%しか含まれないので、精製過程のすべての段階で、ウランの崩壊物だらけの粉末を廃棄の段階で大気に広めてしまう可能性が付きまといます。ウランを掘っている時点で環境に悪いということで、このことを原子力発電よりも問題視する研究者がいるほどです。そして、発電の際につくられる核分裂生成物は、強力で長期的な放射能を持っているため、「核廃棄物」とも呼ばれるゴミの処理は重大な責任です。

原子力発電所の性能や安全性がいかに良くなっても、核廃棄物の処理は、文字通り永遠の課題なのです。

おもな核分裂生成物は燃料の中に閉じ込められるように焼き固められ、その周りを何重もの管や壁で防護していると言います。それでも、蒸気をつくったり冷却をするためには水の循環を必要とするため、燃料から染み出た放射性物質は原子炉の外に運ばれます。また、燃料が出すエネルギーがまわりの分子と反応して、合計で数百種類もの放射性物質が産まれ、放射性の水素であるトリチウムも大量に発生します。原子力施設は、これらの核分裂生成物を、最新のテクノロジーで排気や排水から取り除いていると言います。

これまで多くの独立機関による調査と政府の統計が、世界中で原子力発電所のまわりの住民は重病の発症率が数割高くなっていることを示しています。これは、排気や排水に含まれる放射性物質が環境を通して人体に入って来ていることを意味します。通常運転がもたらす「いくらか」の汚染が本当はどれだけなのかが、疑問点です。

最近になって特に問題視されているのが、原子力発電所や再処理施設で保管される使用済みの燃料が、年々増えていることです。この高レベル廃棄物だけは、ごまかしようがありません。放射能を制御しようという工夫もされていますが、どんなに技術が進歩しても、うちわで冷ますようには行かないため、扱いがとても厄介なのです。

燃える前の燃料棒は手で触れることさえできますが、燃えた後の燃料は水の中に入っていないと近寄ることも許されません。このような使用済み燃料や原子炉を解体したときの廃棄物を、数百年、数千年単位で管理して行こうというのが、誰もが認める原子力発電の現実です。解決策として、廃棄物を固めてから梱包し、地底に埋めて石碑でも建てよう、という発想が精一杯なのです。

45億年も眠っていたウランを掘り起こした人間が、その何百万倍もの放射能を煮詰めたエキスにして地球にお返します、というのですから、環境的に見ればどうにも可笑しい話です。人間の寿命どころか、文明の寿命をも越す管理期間を「処理」と考えている時点で、ちょっぴり疑問点です。

再処理工場で使用済み燃料から新たな燃料をつくるという「核燃料サイクル」の試みも、燃料を強い酸で溶かす工程で、中に閉じ込められていた核分裂生成物を逃がしてしまいます。核廃棄物をリサイクルするどころか、放射性の排液や排気が増えることは確実なので、ぜったいにクリーンなサイクルではありません。この場合も、サイクル全体でどれだけ環境に放射性物質が出ていてるのかが、大きな疑問点です。

原子力施設からの放出量が定められた基準以下だとしても、まずその基準が適切であるかどうか、そして放出量が生態系にどのような影響を及ぼしてきているかが、最大の疑問点です。低レベル放射線による人体への影響など、ここ10年の研究だけでも新しく分かったことが出て来ているというのが現状です。常識的に考えれば、人工放射能はいかなる量も出していはいけない、と言えると思いますが、それが通用しないので、細かい数字の話や卓上の理論になってしまうのです。

<世界の原子力事情>

原子力を最初に開発したアメリカには、現在100基以上の原子炉があります。それでも70年代には、「2000年までには1000基までに増やす」と豪語していました。潜水艦のみならず、飛行機や車のエンジンにいれることも検討されたほどです。では現在はなぜそうなっていないのか、なぜ電力の数割を賄うところで止まっているでのしょうか。

それはこれまでに分かった安全面での疑問点と、コストの問題とがあります。原子炉にも必ず寿命があります。通常運転がもたらす高レベル放射線と水分だけで、パーツが激しく老朽化します。中性子線をはじめとする強力なエネルギーが、部品の分子構造までをも徐々に乱して行くからです。このため、数十年前後の原子力発電所の一生は建設費を始め、維持費、解体費、処理費が思っていたより何百倍も高くついてしまって、長い目で見れば経済的にリスクの高い発電方法に誰もが難色を示しています。アメリカでは1979年にピッツバーグ州で起きた「スリーマイル原発事故」以来、新しい原子力発電所の建設が止まっています。原子力抑制を求めた世論が大規模な運動を引き起こして、核燃料サイクルの実体が明かされた結果、州によって新しい原発の建設を法的に禁止したからです。

また、アメリカでは民間の再処理工場が許されていないため、使用済み燃料がそれぞれの原子力発電所にある貯蔵プールに貯めて来た結果、スペースが足りなくなって、キャスクという屋外の貯蔵方法で対処をしている始末です。永久埋蔵予定地のネバダ州のヤッカ山(奇しくも核実験が行われていた地域で、ショショニ族の土地)に関しても、未だに熱い議論が交わされていて、500億ドルの巨大計画が停滞しています。

現在、地球の環境問題をふまえて、原子力発電はきれいなエネルギーだという謳い文句で、原子力は復興時代を迎えようとしています。技術の進歩によって、「より安く、より安全」な原子炉が、日本、アメリカ、フランス、ソ連の企業によって競って開発されています。今後は経済成長を見据えて、中国やインドをはじめ、アメリカや日本でも新しい原子力発電所が合わせて何百基も建設されようとしています。それに伴い、日本では高速増殖炉と再処理の技術が見直されています。このように原子力とは、ふたたび急成長しようとしている巨大市場であることを、誰もが認識するべきでしょう。原子力発電を辞めている国も、様子を見ている最中なのです。


<地球温暖化と原子力>

近年、地球の温暖化が人類の滅亡につながるのではないか、と唱えている専門家が増えています。温室効果というのは、日光が地球から跳ね返って赤外線となった熱が、水蒸気につかまって大気を暖めることを指します。湿気の高い地域は夏場が暑いのと同じ原理で、その反面、砂漠などの湿気がない地域の夜は急激に冷えます。

温室効果を持つガスには、二酸化炭素が主にあげられます。二酸化炭素は大気中のたった0.04%ながら、温室効果ガスの半分で、残りの半分は大規模な牧畜業や他の工業が出すメタンガス、亜鉛化窒素、フロンガスが大きく貢献しています。本来は、人類は温室効果のおかげで地球に生息できているのですが、平均気温が1、2℃温かくなったため、世界中の氷河が大規模に溶け始めたり、海洋の表面温度が上昇し、ここ何年かの異常気象の原因になっています。いずれは海面が上昇して地形が変わってしまうことも危惧され始めています。産業革命のせいで、何万年と安定していた惑星の気象条件が大きく傾き始めてしまったのです。

そこで、二酸化炭素の排出量を削減することは言うまでもなく重要なのですが、それを原子力推進につなげる意見が目立つのは、ちょっと待てと思っている。まず、二酸化炭素の出力には、化石燃料の使用の他にも、他の製造業や、森林の人工的な燃焼が挙げられます。原子炉の中に限って二酸化炭素を出していないものの、ウランの採掘から廃棄物の埋蔵まで、運営にかかるすべての工程を足すと排出量を削減できるとは限りません。ウランも有限な資源であり、ごく一部をリサイクルできたとしても、廃棄物の管理は永久に続きます。原子力を推進する側は、環境のために良さそうな点だけを主張して、環境に悪い点を全く言わない。今、起きようとしていることは猛毒を持って毒を制す、だ。

原子力の是非を問う一方で、その代替案を実践しているムーブメントも何十年も前から存在します。「原子力が絶対に必要」とこだわる意見は、電力が「100%原子力によってしかまかなえないもの」であるならばまだ説得力があるのですが、決してそうではありません。原子力の抱えている問題は、いかに原子力を安全にするかだけではなく、選択の余地はもっと他にあるのです。石炭や天然ガスの改良に加えて、太陽熱、地熱、風力、海洋などなど、現実的な可能性は沢山あります。

「自然エネルギーだけでは無理」という定説は、中央集権化された電力システムでの話で、自家発電を含め、電力の生産をコミュニティで分担すれば、自然エネルギーで楽に賄えるのです。工業をサポートするには多くの電力が必要ですが、その電力がどのようにつくられていくかは、大きな転換期を迎えることは避けられません。控え目に言っても、私たちのエネルギー源の選択は、今世紀中に人類が生き残れる地球環境を守れるかどうかを大きく左右することになります。

人間の体がそうであるように、地球という生命体にも驚異的な免疫力があることを忘れてはなりません。温暖化が心配ならば、世界の森林を大規模な燃焼や伐採から保護して、急ピッチで進んでいる砂漠化を食い止めることも重要な課題です。そしてひたすら緑地化。すかさず植林。緑は二酸化炭素を吸って気温を冷やすのだから、原因が分かっていると同時に、答えも分かっているのです。

第二次世界大戦が明けて、原子力発電所が出来た頃には、多くの人は、石炭などによる火力発電所の煙がないため、空気にも自然にも良いとずっと信じていました。そして、核のゴミは大したことがない、と教わっていたのです。このことは、今でも多くの人が捨てたくない「夢」なのです。

日本はアメリカから原発を輸入して、人口密度が高く、地理的に小さな島国に50基以上の原発を運転するまでになりました。(同じ面積を持ち、日本の約三分の一の人口が住むカリフォルニア州にも、合計5基しかありません)資源を輸入に頼っている日本は、きれいなエネルギーをつくる方法を手にいれたのです。しかし、「そうは問屋が卸さなかった」とは、まさに宇宙スケールでこのことを指しています。

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