fences |
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lyrics
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対訳
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Everywhere that I can see Are chain link fences, barbed wire Are we inside, are we outside I can't tell, can you? Overseas bases, internment camps Prison industry, Gatekeeper Guantanamo, Henoko Security, not for you and me I've learned to close my heart To shut myself in, shut myself out I've build my own fence I don't feel, but yet I bleed 思って通らば 千里も一里 会わん戻らば 元の千里 渡海や隔めても 照る月や一つ あれも眺めゆら 今宵の空や Even in these darkest times Love will shine, shine through No fence can hold us in What goes up must come down, what goes around comes around |
見渡す限り 金網、有刺鉄線 中にいるのか、外にいるのか 僕は分からないけれど、君は? 海外基地、強制収容所 刑務所産業、国境警備隊 グアンタナモ、辺野古 防衛は誰のために 私は心を閉ざすことを学んだ 中に篭って、外を遮断する 自分の柵をつくってしまった 何も感じないが、血を流している あなたを想って通えば、 千里の距離も一里になる 会わずに戻れば、 また元の千里に 海に隔てられても 照る月は一つ 一緒に眺めているだろう 今宵の空を この暗い時代に 愛は光る、光り続ける 私たちは、どんな柵にも捕らわれない 上がるものは、落ちる運命にあり 人の行いには、報いが訪れよう |
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缶カラ三線と言えば、多くの人は沖縄戦争(1945年の4月から6月)の後に、物資が不足していた時期のことを連想します。沖縄の人たちは、米軍が捨てた缶などを使って、三線をつくったのです。 | |
しかし、缶カラ三線は遠く日本を離れた地でも、同じような境遇でつくられていました。沖縄を飛び出た、ハワイへの初期の移民たちや、第二次世界大戦中にアメリカの収容所に強制的に入れられた日系ラテン・アメリカ人たちも、缶カラ三線をつくっていたと言われています。それぞれ、故郷を想って楽器をつくったのでしょう。 |
Wesley Ueunten (上運天 巌) プロフィール |
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(うえうんてん・うぇすりー・いわお) |