僕の中での話、個人的に慕っている三人の師がいる。三人とも、ヒップホップの先輩にあたるアジア系アメリカ人である。その主な理由として、僕がヒップホップに目覚めて、アメリカにおける自分の「アイデンティティ=自己投影」を考えた結果、自分が日本人であるということ以前に、他人のフィルタには「アジア人である」ということが必ず先行するということに気付いたからだった。それは、カリフォルニアのようにアジア人が圧倒的に多くて必然的に「アジアン」という形容詞で呼ばれることもあれば、有色人種が少ない地域で、黄色人種なら誰でも「アジアン」と一括りにされてしまう場合もあるだろう。ともあれ、その三人の師は10年ほど前、小中学生のために開かれたあるヒップホップセミナーのパネルで一列に座っていた。
一人目は、トム・シムラこと、MCのLyrics Bornだ。日系ハーフの彼は以前、Asia Bornとも名乗っていて、常に斬新なスタイルでラップ音楽の地形を塗り替えている。二人目は、「Classic
Material」をまとめたライターのOliver Wang。独特のユーモアに包まれ、幅広いスタイルの音に注ぐ情熱にはいつも敬服する。そして最後に、Quannumの前身であったSoleSidesレーベルを仕切っていたDJ兼ヒップホップ学者のJeff
Changがいる。彼が、「ヒップホップ世代」の歴史を記すという野心溢れるプロジェクトに着手し、数年間・数都市に及んだ取材と活動の成果、「Can't
Stop Won't Stop: A History of the Hip Hop Generation」を遂に書き上げたのだ。
ヒップホップ世代とは、一体誰を指し、何を意味するのか。Chang氏は、「世代」という言葉の定義から始める。「人々を年代で区切る『世代』という概念は、そもそも他人によってつくられるフィクションである」、と斬る。大抵は、ある世代が、生き生きとした主役を演じた時代の終焉に直面したときに、自身の老いと次世代の若さに忌みを込めて、新人類を呼び捨てるのだ。しかしヒップホップの場合、自らそのカルチャーの申し子を名乗る子供達が、瓦礫の下から台頭してきたのだ。
ヒット曲のコーラスよりも、ドラム主体のブレイクを好んで踊ったB-BOY、B-GIRL達。それに気付いてクイック・ミックスを発明し、電柱から電気を拝借してブロック・パーティーを開いて、ギャング・ライフから子供達を救ったDJ達。公共の動くキャンバスに描くゲリラ芸術家を自負し、体を張って縄張りを広げたグラフィティ・アーティスト達。そして、住んでいる環境の心境を実況しながら、メッセージを詠った預言者の、MC達。これらの独立したアートの円の集合体が、より大きな円を描く。彼らが成し遂げたこと、その理由を本当に理解するには、目に見えるコンテンツ=内容よりも、目に見えないコンテキスト=時代背景が、ずっと大切なのだ。これは、いかなる状況において同じだ。
本書は、「ヒップホップ世代」という、70年代に発動した激しいアメリカのストリート・カルチャーと同調し、それまでは60年代の偉人達の影に覆われて、正当なアイデンティティを持つことを許されなかった、若者達のストーリーである。つまり、ヒップホップの先駆者達の、過去30年の体験談が題材であり、音楽はそのサウンドトラックとして機能している。Chang氏は、ヒップホップ世代が産まれた社会的背景、音楽史を臨場感に満ちた文体で優しく解説し、果たして呪われたアメリカの土壌でどのような人間模様と事件の波紋が、ヒップホップ帝国の誕生に至ったのか、そしてそれは未だ幻影なのかを、検証している。
黒人の社会的差別に終止符を打った1960年代の公民権運動、その後も下層階級=有色人種に対して続いた事実上の経済制裁、その効果が顕著に現れた70年代ブロンクス地区の凄まじい荒廃、ヘロインの登場とギャング抗争から、この物語は始まる。Africa
BambaataがZulu Nationを立ち上げた輝かしい功績と同時に、レゲエとダブを産んだジャマイカの文化革命、そしてその亜種をアメリカに輸入したヒップホップの創始者、DJ
Kool Hercの生い立ちを追う。一時は流行の波に見捨てられたRock Steady CrewのB-boy伝道史、グラフィティ・アートの全盛期と悲壮な結末。交配と堕落を象徴した80年代のNew
Yorkパーティー・シーン。ゲットー音楽からNY郊外への進出。その名の通り、Public Enemyとユダヤ系メディアとの皮肉な衝突。南アフリカのアパルトヘイトと、米国の学生運動。レーガン・ブッシュ政権のCIAによる麻薬密売、新たなドラッグ戦争の到来。Watts暴動、LAのギャング抗争と歴史的停戦。Rodney
KingとLA暴動。NWA、Ice Cubeとコリアン問題、Source誌の爆発と内部スキャンダル、、、。また、これらの一連の事件を見守り、共通点を見出し、社会的意味を含ませた団体と人物達:ブラック・パンサーズ、キング牧師、マルコム・X、ジェシー・ジャクソン、ルイス・ファラカン。
まばらな系譜でこそあり、各文章が一段落に値し、各段落が一章に値し、各章が一冊の本に匹敵する、凄まじい情報量と吸引力だ。
ヒップホップとは、「ライフスタイル」であり、「アチチュード=態度」だと言うが、それ以前に、生存するための手引きであり、哲学だ。誰も知らない、誰も気にしない場所から、いつの間にかマスメディアの五感に潜り込んだように、このムーブメントは、声と拳を上げて立ち上がったナイーブな革命家達のテーマである。アメリカ政府が冷酷に見放した子供達が、世界に轟く発言権を持つようになり、今度は権力が彼らを恐れ、曲がった法の力で制圧し、学校に送るよりも刑務所に閉じ込めるまでになるのだ。
これまで、これほど、日常で起きていながら人々が目を背けて来た全体像の裏側に貼られたスナップの数々を、真実の一糸でまとめてメインストリームに突き返す教科書は、存在し得なかっただろうし、未来のヒップホップ教育における布石になることは必至だ。
今でこそ完全にクロスオーバーして世界的に認知されているが、ヒップホップはほんの10数年前までは、アメリカでさえ(また、こそ)、政治家やマスメディアから執拗な迫害を受けていたことを、忘れてはいまいか。また、栄華を勝ち取ったヒップホップ系アーティストのエリート層は、以前P.E.やNWAが持っていたような牙を引っこ抜かれ、「アーバン」というクールなアクセサリーとして定義され、視覚的副作用を黙認することによって政府に間接的に利用される。ヒップホップ世代の「声」は、数社のメディアが利潤を分け合うリーグでゲームをする、高年俸の選手会と広告塔に成り上
(下) がってしまった。もちろん、希望だって沢山あるし、音も実際カッコ良い。しかし、ラップ音楽が弱肉強食の現実を詠っていることは昔と変わりなくても、弱者が強者の「イメージ」を着せられた今、成功も失敗もすべて、個人消費と資本主義の極みに従って、需要と供給が、歪んだレコードのように回っている。
この形勢逆転に歴史的な皮肉を見出してヒップ「ポップ」産業を正当化する見解は、一理ある。しかし、ヒップホップを名乗る以上、その起源を辿れば、オリジネーター達の「ピース」なメッセージを便利にサンプル引用だけする訳にはいかないはず。年号や名前の羅列の内側には、時代や権力に対する人々の生々しい感情があって、それが事件となって初めて一般の記録と記憶に残り得るのだが、マスメディアの騒音で掻き消された声はどこに行けば良いのだろう。答えはニュースで伝わらなければ、ローカルの音楽を聴けば分かるのだ。だから、アーティストのみならず、人は記録を残し続ける使命がある。政治を抜いた音楽は、炭酸を抜いたソーダ、いや、まさに背骨を抜いた人間と同等だ。
これほど夢中になって読書をしたのは、実に久しぶりだ。政治的な内容に入り込んで行くのは正直、体力を必要としたが、それを体験した人達の苦しみの何万分の一だろうか。そして、話の筋がまた馴染みのある音楽と繋がったとき、その度に、新しい景色が見えて、心が晴れた。
第一、この本を日本語で紹介して何が言いたいかと言うと(まだ和訳されていないので、推進中)、まずヒップホップという荒々しい、命懸けな文化の本質を今一度、見直したいと思う。そして、これからの日本の社会を造っていく・壊していく若い人たちに、ヒップホップと、そのエネルギーに共鳴する個性、派生するアートや思想をもっともっと極めていくことを心から応援したい。
むろん、日本人は独自のやり方で、コミュニケーションを工夫するべきだと思う。現に、「このグローバルな時代こそ、ローカルな戦いが主になっている」とChang氏は言うし、ヒップホップ音楽が国際的に進出した現在、国単位でも言えることだ。そして、日本でも音楽が時の政治を反映し、権力者を脅かすようにまで成長することは、あるいは大衆娯楽の殻を脱皮し、若者の考え方にまで深く影響を及ぼすことは、可能だろうか?その種は、もう植わっていて既に芽が出ているのだろうか?そして、その様子をいち早く察知して、流暢に分析する聡明なライターやヒップホップ学者が出てくることも、有り得るだろうか?
「The
Revolution Will Not Be Televised =革命はテレビで放映されない」と放った詩人ギル・スコット・ヘロンの金言は今でも眩しさを保っている。テレビや新聞で何を騒いでいようが、いまいが、まったくもって、どうでも良いことじゃないか。それがあなたにどれほど大切で、あなたとどういう関係があるというのか。故郷で、周りと家族と目指している生き方、考え方、学び方、教え方、食べ方、歩き方、あるべき姿があるはずだ。沈みかけた大船に乗って演出された社会・国際情勢を指を咥えて見続けるのと、確実に生き残るための術と人間関係に投資するのと、どちらが健全なのか?世代交代を伴う社会の変化は、必ず訪れるし、これは有史以来、最もクラシックなテーマでもある。抽象的な思想より、具体的な行動からすべては始まる。Can't
Stop, Won't Stop。止められないし、止めやしない。
この一冊は僕の10代のみならず、20代の生き方を肯定してくれた。Jeff Changは冒頭で既にこの答えを用意してくれている。「ヒップホップ世代は、誰を指すのか?入りたい人なら誰でも。ヒップホップ世代は、いつ終わるのか?それは、この次の世代が、終わりを告げる時だ。」
謝
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