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戦後の経済、文明は原子力と共に発展してきた。
核分裂を使った原子力エネルギーの歴史は100年にも満たないが、 長くて複雑なものである。
政治的な事情は教科書で書かれている以上に政策の意図が隠されていることが多い。
また、被曝の歴史も同等に長いものであるが、なかなか現在進行形の時系列として語られてこなかった。
特に内部被曝に関しては1930年代から科学者の間で分かっていたものの、国際機関からは表立って評価されていない。
どちらかと言うと、メカニズムを認めつつも否定的な意見の方が多い。
それは戦争、核実験、エネルギー事情と国策に関わる大きな問題の影に隠れてしまったからである。
その背景をこの歴史相関図から読み取ることが出来るだろう。
日本で起きていることが、過去の事例や海外の事情とどんな関係があるのか疑問に思っている人の方が多いが、
実に密接な繋がりがあって今日に至るのである。決して現代の問題、未来の課題として解決できるものではない。
現在議論されている基準値がどのような機関により、どのようないきさつで作られたのか。
「それは公益のためなら、一定の被曝量を許容した上で、影響を最小限に抑える」と言うものである。
それが労働基準として認められるのは理解できても、一般市民にまで適用すべきものではないことは明らかである。
影響も明らかでないまま、産業側が一方的に自主規制している基準であるからだ。
よって、度重なる人為的な放射能汚染も、自然放射能や医療放射線と比較されて無害とされて来た。
(ウランの分裂によって産まれる放射性物質が同じでないことは明らかである)
放射線は英語圏では必ず"ionizing radiaton"(電離放射線)と呼ばれるように、
「電離」と言う現象が放射線の影響の一つであることが非常に重要な鍵である。
内臓が局部的に被曝し、細胞(粘膜、中の分子)が電離することによって起きるさまざまな現象が病気に繋がる可能性を持っているのだが、
自然放射能同様、この現象を抑えるのは人間に備わっている機能であり、何重にも準備された免疫能力である。
しかし、電離放射線に対しては胎児、乳児、幼児、女性、男性の順で影響が変わることも含めて、
「細胞の遺伝子が影響を受けても修復されるから大丈夫」と言う産業側の意見は、
単なる個人の免疫への期待、つまり「免疫税」*である。
環境汚染によって慢性的にも成りかねない内部被曝の影響も分からない状態で、同意を得ることもなく「免疫税」を課することは
社会的に許容されるべきではない。それが遺伝子レベルであることが、他の汚染源や社会的リスクと一線を画するとこだとう。
そして、その構造を助ける法律を作って来たのが原子力の歴史である。
また、 議論を法廷と世論(英語では世論の法廷とも言う)で置き換えて見れば、
弁護する側の「被爆の影響を否定し、産業側を守ることに徹する」言動がいかに自然なことか見て取れる。
もちろんどちらにも言い分があるのが法廷です。
双方の科学的なデータと共に、 国民が義務と権利を理解し、
歴史から学び、公正な議論が行われて行くことを強く願います。
この図では日米英ソに限ったが、原子力の歴史を理解し、新しい未来をデザインした事例は沢山あるのだ。
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