祝島訪問手記
2009年9月24日

   
山口県上関町(かみのせきちょう)祝島(いわいしま)を訪れた。
本州と九州を隔てる関門海峡に面した下関は有名だが、
上関は瀬戸内海の西の玄関として古来から重要な意味合いを持ってきた。
航海安全の祈りを捧げる場所として、祝島の名は万葉集にも登場する位だ。

室津港からフェリーで数十分の距離。
窓から一望できるのは、点々と浮かぶ島々。
緩やかな波と水平線がとても美しい。
近辺の海域には「すなめり」が、離島には絶滅が危惧される隼などが生息していると言う。

祝島に着く。
どうしたものか、自分の祖父の故郷である屋久島に着いた時に雰囲気が似ている。
奇しくも、両方とも違う県の「熊毛郡(くまげぐん)」にある。むろん、祝島の方が数十倍も小さいのだが。

なぜ此処に来たかと言うと、祝島を題材としたドキュメンタリー映画を制作している監督から協力のお誘いがあったからである。祝島では、現在二本の異なる映画プロジェクトが進行中である。

世界が注目すべき祝島にある題材と言えば、祝島の島民(現在の総人口約500人)の9割は30年間に渡って、対岸の長島の先端、田ノ浦に建設予定である上関原子力発電所の反対運動をしていることだ。その予定地は、港から約4キロ離れた真っ正面と言っても良いくらいで、視界を遮る物は何もない。

マキちゃん

 

もちろん、僕はそのことについて、上関の存在についてすら、無知に等しかった。
現在、日本には50機以上の原子力発電所が稼働しているし、新しい建設予定地がまだまだあると言う。
このようなエネルギー政策の大綱(たいこう)は戦後間もなく息づいたものであり、祝島の対岸にある上関町の発電所も調査を含めて何十年も前に持ち上がって実行に移されてきた計画である。

そして、現在。
山口県に電気を供給する中国電力(島根原子力発電所も運営している)が、上関町田ノ浦で埋め立て工事にいよいよ着工しようとしている。
作業開始のシンボルともなる、区域を記すためのブイを海上に落とす作業を、祝島の島民と外部から応援にかけつけた(カヤック部隊を含む)人々が中国電力の作業を物理的に阻止している結果、海上でにらみ合っている均衡状態なのだ。

対峙している様子は数日前にも山口県内の大手ニュース番組「リアルタイムやまぐち」(KRY)で流れた。
中国電力側がメガフォンで「あなたたちは、高齢化も進んでいる。島の産業だけでは食べて行けないでしょう」と言った主旨の発言がお茶の間に流れ、多くの山口県民の、島民に対する同情を誘ったようだ。これには流石に中国電力側も謝罪に似た釈明を出した。

これまでの祝島の活動を写真集などで見ると、彼らはことある度に首尾一貫した反対運動を展開してきた。
ボーリング作業も、ブイを落とすのも、すべてが一進一退の攻防の種になる。

祝島の活動家は「原発絶対反対」のはちまきをして、旗を持ち、体を張る。彼らには自分たちにとって「正しい選択をしている」 と言う信念がある。
対岸の漁業組合とは対照的に、保証金を受け取らなかった、という自負もある。
対する中国電力は国策を掲げ、時に挑発的に、時に丁寧に頭を下げながら島民達を「説得する」と言った姿勢で作業にあたっている。

何故なら、まだできていないのだから。
 
 
さて、僕はタイミング良く島の皆さんと食事を共にしたり、生活のリズムの中で出て来る会話に参加することができた。すると、きっと対岸でニュースを見ただけでは到底分からなかったであろう、人の暖かみが伝わってきた。

祝島の女性の多くは高齢ではあるが、実に若々しくて、エネルギーに漲っている。これは勝手な想像だが、何十年にも及ぶ運動のおかげで、結束力は岩よりも強固なものであるに違いない。男性も一本筋が通っていて、静かな覇気がある。

都会や地方に関係なく、他の場所では有り得ないような生きる糧を得ることへの切実さと、目に見えない助け合いがある気がした。彼らは今でも毎週集会を開いているし、原発以外の議題だって数多くある筈だが、それでも、離島での共生という命題以上に家族愛のようないたわりがあった。それはたったの24時間立ち寄ったに過ぎない、部外者の僕が羨む程にあるのだ。

だからと言って、島民の人たちはそれを大袈裟に見せたり説教をしようともしないし、関心を持つ者には寛容に、謙虚に接する。
だからこそ、それにあやかる者として、あれこれ詮索する必要も消えるのだ。
島の入り口から見える集会所にあるスローガンの看板が生活の一部としてあり、豊かな自然の中、何気ない笑顔で溢れる原風景。

彼らはあくまでも自分たちに突きつけられた現実に対して、いかに非現実的な要求であろうと、現実的に対処しているだけだ。

コブタたち
 
じっさい、現場の報道をテレビで見ながら旅館のおかみさんとお友達は「あ、あれは○○ちゃんじゃろ!」「ほれ、あれは誰それの所の○○さんよ」
などとはじゃいでいる。まるで、スポーツ観戦をするかのように。そうか、はちまきや旗は単にユニホームみたいなものなんだ、これが健全な日常なんだ、と妙に納得した。
むしろ、「反対運動」などと好戦的なイメージしか映し出さない報道が助長する偏見が際立って見えたし、それが島民に対する誤解にも繋がっていることは本人達が一番良く知っている。
根源にあるその憤りこそ、僕には到底想像できないものだ。
   
 
対岸とこちらでは、当然のことながら見える景色が180度違うものだ。
長島と祝島、その間には悠久の太古から流れている瀬戸内のさざ波。
発電所が立てば大量の温かい排水を放出し、自然界では存在し得ない、核分裂による放射性物質を微量ながら放出し続けるであろう。欧米で既に立証されてきたことでもあるが、日本の環境におけるその影響は文字通り計り知れない。

ある方は、「原発が立てばちょうど朝日が登って来る所にあるから、原発に手を合わせなくちゃいけなくなっちゃう、って言うおばあちゃん達もいる。それがやだって言えば気持ちの問題だけど、そんなもんなんだよね」とぽつりと言った。

人間が人間らしく生きる権利は、気持ちの問題で良いと思う。
それは漁業権とか、保証とかの枠組みの論点や立場さえを越えて、「正しい」と思えるかどうかじゃないか。
島民が貫いている「正しさ」はこれから変わることは恐らく有り得ないだろうし、
電力会社が主張する「正しさ」は世界と言う大きな流れによって常に揺らいでいれば、建設予定の原発は砂上の楼閣であることは明白だ。

祝島の行く末は、島民の生活はどうなるんだろうか。
その答えは、瀬戸内の潮だけが知っている。


- Shing02


祝島三浦湾より


山口県上関町祝島